200万都市・札幌の真ん中にこんなに緑に溢れ、
オープンスペースの豊富な場所がある。
学生ばかりでなく、多くの市民が行き交う。
札幌という都市の魅力を支えている場所のひとつだ。

東京では伝統ある大学をみんな田舎に跳ばしてしまった。
情けない。
悲しい。
揚げ句の果てに汐留のような経済の数字合わせでしかないような、
そんな都市開発の時代になってしまった。
終わりの始まりといってもいいのか。
それはもうとっくに始まっているよ、ということなのか。

北大の学生たちも、キャンパス内の移動は自転車。
歩いてたらけっこう大変。
しかし、あらためてうらやましいキャンパス。
学生も市民も恵まれている。

キャンパスをサクシュコトニ川が縦断する。
池(大野池)があり、鴨が泳いでいる。
ポプラ並木をはじめ様々な並木があり、みずみずしい新緑に輝いている。


これから始まろうとする野外バーベキューパーティー。
その準備をするグループを、あちこちで見かける。

明治初期の日本の近代化政策の柱は、
欧米の第一級の学者や技術者を招いて直接指導を受けるというものだった。
なんとも露骨だけれど、これが効果的だったんだなあ。
当時招かれた人たち、フルベッキ(蘭)、メッケル(独)、
キンドル(英)などの軍隊、政治経済関係の人たちが有名だが。
しかし、医学のベルツ博士、ローマ字のヘボン、東京芸大を設立したフェロノサ、
フォッサマグナを発見したナウマン、大森貝塚のモースなど、
これらの人びとの名前が懐かしい。
小学校、中学校で何度も聞いた名前だ。
フェロノサからは岡倉天心や横山大観などの名前が思いだされる。

そのフェロノサを日本に誘ったのがモース。
モースは当時の日本の写真をかなりたくさん撮っている。
それと、当時の看板やらなにやら、
人びとの民具や生活品もたくさんコレクションしていた。
ボストンの北にセーラムという小さな、しかしとても美しい街がある。
そこが彼の出身地。
そこにピーポディー博物館という彼のコレクションのための小さな博物館がある。
ずいぶん以前にそこを訪れる機会があった。
当時の日本を伝える貴重な資料(もはや日本にはない)は、
皆とても新鮮で魅力的だった。
博物館そのものも素敵だった。
日本政府が彼らに払った月給は当時のお金で600円くらいだったという。
当時の大久保利通の月給が500円だったことと比べると、
日本政府が如何に大きな期待をかけていたのかがわかる。
欧米の教師たちもまた情熱を持って答えた。
そして、日本の生徒たちはそれ以上の大変な財産を受け取った。
幸せな時代だったのだ。
皆、坂の上の雲を眺めていた。

古い校舎も美しいみどりと花に彩られて。
一番有名なのがやっぱりクラーク博士なんだろうな。
少年よ、大志を抱け
僕らの世代は全員知っているような言葉だ。
身分が固定され変化を嫌った長い封建時代が終わったあと、
大志を抱けという言葉は、とても刺激的だったのだろう。
時代を象徴する言葉になった。
ambitious を大志と訳したのも時代そのものだったのだろう。

考えてみると今まで自分は、
大志を抱いたことがなかったなあ。
もう少年はとっくに終わったけれど、
そろそろ大志を抱いてみようかしら。
春の平和な陽だまりの中で、クラーク像を眺めていたら、
いろいろな想いが頭をめぐった。




建築はやはり早稲田の看板学科ですからね。キャンパス計画はもっともっとがんばって欲しいんですけれどね。