あれから今日までの20年間、ドラマチックな「台湾の民主革命」を間近に見られるという、貴重な経験をすることになりました。

羅東には昔のままの市場がある
象設計集団が初めて台湾を訪れたのは1986年の11月。
その当時はまだ台湾は蒋経国(蒋介石の息子)の独裁のもと、全島戒厳令が敷かれていた。
国民党一党独裁体制の弾圧下、いまだ暗黒の時代だった。
1987年7月15日 蒋経国、38年間敷いていた戒厳令を解除。
象の冬山河親水公園プロジェクトがスタートする。
1988年1月13日 蒋経国、死去。
副総裁だった李登輝が暫定の台湾総統に就任する。
この時から、台湾の民主革命が始まる

李登輝は外省人ではなく、本省人、台湾人。
李登輝がその時、副総裁だったことが決定的に歴史を動かすことになる。それが偶然だったのか、または何かの配慮であったのかは謎であるが。本省人であった李登輝が副総裁の地位にまで上ることはほとんど不可能にしか思えない。それを決定できたのは蒋経国だけだった訳だから、蒋経国の配慮だったといえる可能性がある。歴史は複雑だ。
たとえ蒋経国が亡くなったとしても、その後すんなり李登輝が総統についたことも、考えてみれば奇跡のようでもある。
注:外省人 毛沢東に敗れた蒋介石と一緒に台湾に渡ってきた大陸から移住してきた中国人。その後、台湾を支配する。
本省人 外省人が来る前から台湾に住んでいた人々、台湾人。

お買い物はスクーターに乗ったまま
1988年 新聞の自由化。
この年、宜蘭県羅東に象の現場事務所を設立。
象設計集団の最初の施主は、陳定南、台湾の東北地方、宜蘭県知事。
1981年 台湾で初めての国民党員でない県知事の誕生だった。
陳定南はやがて陳水扁らと共に民進党を結党し、2000年には民主選挙で国民党から政権を奪取し、台湾の無血民主革命の総仕上げをすることになる。
陳水扁は大統領に、陳定南は法務大臣となった。
陳定南が二期務めた県知事を引き継いだのは、游錫埜(ヨゥ・シークン クンの正しい漢字がありません失礼)。象設計集団の二番目の施主でした。
彼は、首相として陳水扁を支える。
かつて、羅東の薄汚れたお粥屋で、象のメンバーと一緒にお粥をすすり、夢を語っていた人たちは、今、政権の中枢にいる。

1989年 政党結成の自由
この年、象設計集団の最初の仕事、冬山河親水公園の一部がオープンした。
オープンイベントとして、ケンブリッジ、オックスフォード、早稲田、慶応大学の対抗レガッタレースが行われた。
施工監理は、大変なものだった。
しかし、うれしいことに冬山河親水公園は台湾の人々に熱狂的に受け入れられ、愛されることとなる。
「空間に恋して」 P188-189 p174-175
4枚の写真 北田英治
冬山河親水公園は、台湾で始めてウォーターフロントに住民の楽しみのための公園を造るというプロジェクトであった。戒厳令下の台湾では、ウォーターフロントは軍事拠点であり一般人の進入は厳しく制限されていた。人々が水と親しむ場所はない。また、独裁政権である国民党は、住民の楽しみのために公園を造るなどということはしなかった。
公園のデザインも従来からある、中国式庭園や日本式庭園とは全く異なるものだったことから、台湾独自の、オリジナルのものとして迎えられた。
そのような背景から、台湾の人々にとって冬山河親水公園は目新しい楽しみであるばかりでなく、台湾の新しい時代、自由と民主化を象徴するもの、出来事となった。
冬山河親水公園は以来、年間200万人(人口の一割)以上の人々が訪れる台湾一有名な公園となる。
冬山河親水公園を造ったのは民進党、自由と民主化を進めるのは民進党。
と言うことで、冬山河親水公園は、民進党のシンボルとなった。選挙の時には親水公園の巨大な写真パネルを背景に選挙演説が行われた。

1992年 刑法改正により国民は言論の自由を獲得
1996年 直接選挙で、李登輝は国民党の党首として中華民国の総統に再選、就任する。中国5000年の歴史上初めての「民主選挙」であった。
2000年 陳水扁率いる民進党はついに選挙に勝利する。民主的選挙での政権交代。台湾は堂々たる民主国家になった。蒋経国の死から、わずかに13年。
世界史の中でも特筆すべき、実にさわやかな、無血革命であったと思う。

台湾の日影はとても気持ちが良い
80年代 どこか暗く自暴自棄的な雰囲気のあった台湾の人々の生活は、90年代に入り、急速に変化していった。
李登輝の掲げる、自由への開放、政治の民主化、社会の多元化というコンセプトを着実に実現した。
バブル崩壊後、アンニュイな雰囲気の日本人と対照的に、人々は未来に対しての「希望」を持ち、生き生きとしていた。

日本のかわいいは、台湾でもかわいい
98年に台北市長になった国民党のニューヒーロー馬英九。
そのルックスと共に大変な支持を得、次期大統領候補(2008年)のナンバーワンといわれた。が、最近では、身辺に不正の疑惑が漂い、かつての勢いはない。
あれほどの困難を乗り越え、理想を掲げて政権についた陳水扁も、身辺に不正の影が。
大陸から本当の独立を勝ち取るまでには、まだまだ、強い忍耐が必要なことを、忘れないで欲しい。

無機質な駅まで日本風にすることはなかったのに
昨年、台北と宜蘭を隔てる山脈を貫通するトンネルが完成し、高速道路が通り、今まで2時間30分かかっていた台北ー宜蘭間が、わずか1時間で行けるようになった。そして先月には、新幹線が開通した。
民主化は充実し、近代化は進み続ける。

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